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セツ・モードセミナー
(絵画科&研究科)卒業

〜これまでのざっくりした経緯とご挨拶〜

私の小さい頃からの夢は「絵描き」でした。

かなり小さい頃から、

「何になりたいの?」と聞かれると

「えかきしゃん」と答えていた気がします。

そんな感じでしたので、

中学校でも美術部で、高校も家からなんとか通える距離だった

女子美術大学付属高等学校へ行くことにしました。

美術の成績もそこそこ良くうぬぼれており、

また、

「そのまま大学行っても女子ばっかりか・・」

という不純な動機も多々あり、推薦を断り外部受験を試みるも

受験に受かった予備校生の絵をすごいなあと感心しながらあれこれ見ていくうちに

なんだか訳が分からなくなりました。

楽しかった油絵を描くのが怖くなってしまい、

1浪の終わり頃には半ばノイローゼのような状態になり受験を断念しました。

弱い人間です。

そもそも大学に行きたい動機も弱すぎました。

でも、この時色々と弱かったから今がある。

中年になった現在は心からそう思えます。

私の人生にたらればはありません。

話は戻り、油絵を挫折した私は

美大の受験はもうやりたくないけど、絵は続けたいなあ・・と思っていました。

母親がもともと長澤節さんを好きだったこともあり、

ひとまずセツ・モードセミナーに入学することに。

学校ではセツ先生に鼻をつままれたり、合評で「A!」と言ってもらったり、

群像デッサンでスケッチしてもらったり、嬉しいことがたくさんありました。

学校がない日は、

御茶ノ水の「アテネ・フランセ」にフランス語を習いに行っていましたが、

基礎よりも会話中心のクラスで、友達ができて楽しかったけれど

肝心のフランス語はあまり上達しませんでした。

セツの途中で留学準備が整ったので、いったん休学してフランス・パリへ。

住んだのは、6区のcherche midi通りでした。

有名なパン屋さん「ポワラーヌ」がある道です。

焼きたてパン・誰かの香水・タバコの匂い・排ガスが混じった匂いを吸い込みながら、

個性と美意識あふれる専門店を楽しみ、

モードが詰まったグランマガザンに足を運んでいた日々は

今でも心の引き出しの中に詰まっていて、とても役に立っている気がします。

(勉強しないで遊んでばかりいましたが!!)

一応、アカデミー・ドゥ・ラ・グランド・ショミエール

(Academie de la Grande Chaumiere)

という画学校にも在籍していました。

家から近く、滞在許可証が取りやすいという理由で何も考えずに入った学校でしたが

デッサンをしにゆるゆると通っていたものです。

ずいぶんあとになってから、

その昔ムーミンの作者トーベ・ヤンソンや岡本太郎も在校していたと知って驚きました。

(余談ですが、私は中年期のヤンソンのように

人がなかなか訪ねて来られないような離れ小島で創作活動をするのが密かな夢です・・・)

さて、

やる気もなく遊んでばかりのパリから帰国後は、

休学中だったセツに戻り無事卒業しました。

セツ先生は留学している時に亡くなってしまったので

もう会えないのだなあと寂しい気持ちの復学時代でした。

そして、母と南青山3丁目でアンティーク&雑貨の店「marmitte」を開きました。

(完全に思いつきで、遊び感覚でやっていました・・)

はす向かいには、まだ有名になる前のニコライバーグマンさんが働く小さなお花屋さん

「クローレ」がありました。

短かった南青山暮らしでしたが、書ききれないほど色々な面白いことがありました。

大都会なのに下町のような温かな空気感の、いい所でした!

その後原宿に引っ越して、2003年頃から楽天市場に出店、

インテリア雑貨店MATTA SHOPをオープン。

営業さんから「楽天大学(経営セミナー)を受けましょう!」と

なんどもなんども言われるが断り、我流で経営。

売り上げはどんどん伸びたものの

メーカーの作ったものを選んで販売する、

という変わらぬ流れに次第に飽きてしまいました。

店を辞め、

2008年頃からハンドメイドのコサージュやオブジェなどを作りはじめ、

銀座のギャラリーや都心部のデパートなどで展示販売していました。

​この頃から、「自分の中から何かを生み出したい」

という欲求が高まってきた気がします。

そんな中で結婚をし、子供を産み、

その数年のちの2015年。

この先何をして生きていこう?

自分にぴったりの何かが見つかるような気がしてならない・・

でもそれは一体なんだろう?

ブローチや針山を作りながらぐるぐる考え続けていたら、ふと、

「もともと一番好きだった絵を描いたらどうなんだろうか」

という思いが浮かんできました。

周りに相談したところ、夫、義母、私の母親は、それぞれ

「描くべきだ!」

と言ってくれました。

背中をポンと押してくれた三人に、今もずっと感謝しています。

それにしても、

小さな頃からずっと言っていた

「絵描きになる」

という呪文の効果はすごいなあと思いました。

一度絵を描くのにうんざりしたはずなのに、

数十年経ってまたむくむくと蘇るのですから。

人生は、ほんとうにわからないものです。

 

 

​​創作については、

見てくれる人が幸せな気持ちになってくれればいいな

と思いながら描いていますが、

あまり深くあれこれ考えず、チャオまかせなところがあります。

これから先どうなっていくのか私自身も予測不能ではありますが、

今後もみなさんに楽しみにご覧いただけることを願っております。

これからも、何卒よろしくお願いします。

​カマノ  レイコ

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